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 Essay 12・・・・・・「月に響く笛 耐震偽装」を読んで


傍観者から、そして当事者へ

 9.11のテロ事件以降、すべてのイスラム教徒がテロリスト予備軍と見なされかねなかった風潮と同じように、耐震偽装事件以降、すべての設計者が、偽装建築士予備軍とでも見なされているようだ。

 6.20以降、どんどん増えてゆく確認申請書類の束を見ながら、何のために、誰のために、この中身のない繰り返しの多い書類を作成しているのだろうと、深い徒労感に苛まれる。今回の改訂で、建物の性能が良くなったり、安全率が高まったりするわけでは全くない(もっとも構造審査は異常に煩雑になり、構造設計の創造性・自由度を大幅に阻害している)。クライアントは長い審査期間待たされ、高い審査料を支払って以前よりも自由度のない建物を得ているだけなのだ。お役所はこんなに重箱の隅をつつくような書類を作らせました、もう何があってもお役所は悪くありません、なぜならこんなに書類をつくらせたのですから、という証明にしかならないところが、ものすごく虚しい。

 本書は、2年前に発覚した、耐震偽装事件の顛末を、第一告発者である民間審査機関の社長が、メールなどの当時の記録をもとに時系列に沿って、当時は見えていなかった官僚権力への推測を交えて記した書である。間違いを見付けて正そうとした民間の第一告発者が、官の無謬性を守るための、無理矢理スケープゴートに嵌められてゆく過程は、まるでサスペンス小説のようだ(こんな風に知らぬ間にスケープゴートとして狙い定められたら堪らないだろうなと真剣に思う)。当時、耐震偽装事件をメディアを通して見ていた私を含めた多くの建築設計者は、官も民も審査機関に耐震偽装が見抜けるはずがないと思っていたはずだ。なぜなら実務経験のある構造設計者ならば、この規模の建物の柱や梁の配筋がこんな本数で可能な訳がないと直感的に判る(大工の棟梁がこんな梁では保たないと体感的に判るように)が、構造設計の実務経験がなく構造計算書の流れの要点をチェックするのが仕事の審査員にとっては、構造計算書の膨大な数字の列の中から差し替えた不連続点を探し出すのは、砂の中に落とした針を見つけだすような、不可能な作業だからだ。しかももともとそんな業務を確認審査員は求められていない。故に当然、官も民も審査機関で耐震偽装を見抜けなかった。しかし、生け贄にされ冤罪のような罪名で取り潰されたのは、民であるイーホームズだけである。

 2年が過ぎ、サスペンスの様だと傍観していた私を含めた設計者たちは、生け贄に供に埋められた埋葬品の様に、耐震偽装事件による建築基準法の改訂に、否応なく巻き込まれ、閉塞感の募る作業に日々埋もれて行く事になった。


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